雑感日記

92歳を迎えた年寄りですが、まだ夢いっぱい。カワサキ二輪の世界に40年。引退後はネットの世界と共に、毎日1万歩・アクテイブタイム1時間。頑張っています。思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

2006-11-01から1ヶ月間の記事一覧

私のサラリーマン生活の故郷

永いカワサキでのサラリーマン生活であったが、面白く過ごさせて頂いた。 その殆どの期間が二輪車に関係したのだが、カワサキの単車事業スタート直後からの担当であり、上司や先輩に経験者がいなかったこともあって、仕事を教えて貰った記憶は殆どない。 自…

平井稔男さんのこと 昔話ー7

「平井稔男さんのこと」 カワサキの赤タンクのことを書いたら、#142ハラさんから、いろいろタンクのこと教えて頂いた。 詳しい人がいるものである。#142ハラさん有難うございました。 そのコメントの最後に、「メイハツ~Team Greenの平井稔男さんは…

高橋鉄郎さん 昔話ー6

「カワサキ単車の昔話」に登場させたい方は、沢山いるのだが、それに一番似合う人は、やはり高橋鉄郎さんだろう。 私の個人の日記帳にも他を圧倒して登場する数が多い。 それだけ一緒に仕事をした機会も多く、お世話になった期間も長い、単車の大先輩である…

ブログの楽しみ

ブログをはじめて2ヶ月ちょっとになった。 毎日の暮らしのなかの日課の一つに定着したと言っていい。 老後は、「きょうようがなければならぬ。」 「教養がなければならぬ。」ではなく「今日用がなければならぬ。」 そんな日常の暮らし方がいいとTVのコメン…

赤タンクのカワサキ 昔話ー5

「赤タンクのカワサキ」 カワサキのレースカラーは、「ライムグリーン」である。 「グリーンモンスター」とか「チームグリーン」とか、マシンやチームの名前にも使われ、既に一般に浸透しきっているカラーである。 レース場では「ライムグリーン」は特に映え…

チームグリーン、レースメカニック募集

11月に入ってからだが、カワサキモータースジャパンからメールマガジンが入るようになった。 申し込んだ覚えはないのだが、どなたかが私に代わって申し込んでくれたようである。 今日届いたNO183に、「チームグリーン、メカニック募集」のニュースが載ってい…

佐賀県武雄市長からコメントがきた

今朝、ブログを見たらコメントが入っていた。ブログの楽しみの一つである。先日「市長公室長樋渡啓祐氏のこと」というブログを書いた。内容は「ブログ」と「奇人、変人」についてである。樋渡さんが高槻市に居られたときのコメントのなかから、私見を述べさ…

船場モータース岡田博さんの思い出

1970年ごろ、カワサキは、時代を先取りする販売網を模索していた。 カワサキが企図した特約店制度の推進でお世話になった販売店と言えば、躊躇なく「船場さん」と岡田博さんの名前を挙げるだろう。 みんな、その頃岡田さんではなく「船場さん」と呼んで…

山本隆からコメントが来た

今朝、ブログのページを開いたら、2通のメールが届いていた。 2通とも、懐かしい山本隆君からだった。 1通は昨日の「四国の星」に対して、「懐かしい話すべて読みました」という表題で、今,町内会長や「峠池を考える会」会長をしていて、仕事がおろそか…

代理店 昔話ー4

「実用車のカワサキ」であった時代、県毎に代理店があった。 カワサキでも「鹿児島の金谷さん」、「新潟の鍋谷さん」、などの呼び名で呼ばれ、「こわい、うるさい」代理店の代表として有名であった。 今この話をしても、通じる人は居なくなってしまったと思…

四国の星、夢の扉

今朝の朝日、久しぶりにすがすがしいニュースである。 松坂の大リーグ60億円移籍など、ビックリするようなニュースが続いたが、 「四国の町で、若者の夢がはじけた。2人の選手が、巨人とロッテからドラフト指名を受けた。初のドラフト選手の誕生。あこが…

FISCOの思い出、1966年

FISCOに明けFISCOで終わった。1966年はそんな年だった。 1966年、レースを担当した最後の年である。 前年から、MFJの運営委員の末席をけがしていた。 H前川、S岡野、Y内藤さんという経験豊かな方々の中で、会議のなかでただ座って、…

㈱忍者 伊藤彰さんのこと

http://jns.ixla.jp/users/ninjajhp385/ 大阪の所長をしていた頃、万博のあった年(1970年)、はじめて伊藤さんに出会った。 まだ伊藤モータースという名前で弟さんと二人、中古車を中心にした小さな店だった。 今は、堺の㈱忍者の社長、大成功である。 …

市長公室長樋渡啓祐氏のこと

http://www.city.takeo.lg.jp/樋渡啓祐氏。面識もないし、勿論話もしたこともなく、私とは直接は何の関係もない。総務省から出向して、高槻市長公室長を平成15年4月より17年12月まで2年半ほど務められ、また総務省に戻られた。1969年佐賀県生ま…

野球部OB総会

野球部のOB総会は、今年も楽しくいい雰囲気であった。 OB総会と称しているが、 一次会。三々五々、食堂でのおでん、おにぎり、缶ビールつきの簡単バイキングの昼食で始まる。母校グランドでの現役対OBの硬式による対抗戦。と年配OBのソフトボール対…

実用車のカワサキ 昔話ー3

「実用車のカワサキ」 カワサキにもそんな時代もあった。 1960年代の前半、まだアメリカ市場の開拓時代で、国内市場中心のころである。 当時の国内市場はカブ全盛期、モペット中心であった。 カワサキもモペットはあるにはあったが、もう一つぱっとしな…

新人営業マン 昔話ー2

1962年1月営業の単車係に配属された。30才まだ、独身の頃である。 単車のスタート以来の総生産台数が1万台に達するかどうかという、まさに創生期のころである。 配属された営業で、単車を担当していたのは、次長小野助さん、壱岐係長、女子も入れて…

昔話のコンセプト 昔話ー1

つい2~3日前,カワサキワールドを訪ねたら、田中さんや吉田君など懐かしい昔話に熱中して、肝心の展示も観ずに帰ってしまったことは、ブログにも書いた。 昔話は、その輪に入れる人たちにとっては、時間も忘れる楽しさがあるものだ。 ブログを始めて2ヶ月…

服部謙治君のこと

http://www.hattori-kawasaki.shop-web.org/ レースの担当の後、仙台で東北6県の営業をはじめて担当した。 1967年、私がまだ35才の頃で若かったし、勇ましかった時代のことである。 服部謙治君。 当時、宮城カワサキの工場長で技術のウデは確かであっ…

今朝のメール

毎朝沢山のメールが入る。 情報収集が主たる目的であるため、発信元は、行政の政府、市町村、などのメールマガジンをはじめいろいろある。個人からのメールはめったに入らない。 今朝、珍しく2通の個人からのメールが入った。私にとって、嬉しいメールだっ…

カワサキワールドでであった仲間

今朝、神戸のメリケンパークに今年の5月にオープンした「カワサキワールド」を訪ねた。 カワサキワールドは、Kawasaki Good Times World として、神戸市の関連団体が既に開設していた海洋博物館の中に併設された。 神戸港とともに歩んできた川崎重工業の創…

Good or Exellent

世の中、いろんなことで騒がしい。あまりいい二ュースがないのである。 目指してきた方向が、少しだけ間違っていたのではないか、と思ったりする。 GoodもExellentも、辞書でその意味を引いてみると、二つともいい意味を有している。 Exellentは素晴らしい、…

安全運転とレーステクニック

私が免許取得したのは、1965年6月である。 カワサキがはじめて鈴鹿でロードレースに挑戦した年であった。 免許取立ての私に、手取り足取り4輪の運転テクニックを教えたくれたのは、ライダー達だった。 とりわけ、理論家で講釈師とみんなに言われていた…

三木市

ブログを9月9日にはじめたきっかけは、三木市にも深く関係がある。 世の中の事柄は、ひょんなことでひょんなことになるものだ。 三木にきて33年、市政など何の関心も持たなかった。 今年のはじめ、永年努めた前市長に代わって、新しく47歳の若い市長が…

小野田滋郎さんのこと

小野田滋郎さん。カワサキのレースの創生期にライダー関係で三橋実を引っ張り、カワサキコンバットを事実上作った人だと、私は思っている。あのフィリッピンから帰国した小野田寛郎中尉の弟さんである。ブログを書く資料として日記をめくっていたら、197…

私の自慢話と自慢の人生

ブログのコメントがきっかけで、「仲間」の話をしたら、また、多分若い方から、そのコメントを頂いた。 また何か書こうという気持ちが湧く、応援歌のように思える。 この2,3日の私のブログを自分で読み返してみると、自慢話のようにみえる。 確かに、私の…

ブログが、暖めてくれた旧交

この2,3日久しぶりに、よく電話をかけた。 「私の仲間たち」を発信して以来、昔のレース関係者の「仲間たち」ばかりへの電話だった。 会社関係は、山田さん、高橋さん、大槻さん、田崎さん。「レースの偉い仲間たち」で、既にご紹介をした。 今回は、何故…

片山義美君のこと

昨日の夕方、高橋さんに電話した。「レースの偉い仲間たち」に勝手に名前を出したので、了承を頂くためだった。「聞いた、聞いた。今日、会合があって、大槻さんが会うなり話をしてくれた。」私流の仲間の解釈を,海兵出身の高橋さんに120%の賛意を示し…

「差別化」を考えよう

差別化。 一般には聞きなれない言葉かも知れない。 差別ということで使いにくい言葉かも知れぬが、マーケッテング用語としては、基本的な言葉である。 私のすべての発想のベースになっている。 会社にいたころ、区別では駄目なのかと上司に言われたことがあ…

レースの偉い仲間たち

昨日、私の仲間たちというブログを書いた。 カワサキでのレースで関係した仲間たちは、想像以上にそれぞれ偉くなっているのである。 そのうちの何人かを、「共有する思い出」の幾つかとともに、ご紹介したい。 今後も私のブログに何度も登場するはずである。…