2020-01-01から1年間の記事一覧
★ 今年は春から、防災公園にずっと走りに行ってたので、 公園の自然の移り変わりを身近に感じた1年だった。 公園には1年中花が絶えないように、計画的に植樹されていることもよく解った。 大晦日、珍しく雪が降った朝だった。 林間広場も真っ白だった。 大…
★ 2020年という1年も大晦日を迎えた。 珍しく、朝はうっすらと雪が見られた。 『2020年という年は大変な年であった』ことは間違いない。 世界中が『コロナで始まりコロナで終わろう』としている。 長い歴史の中でも世界中がこんなに困惑した1年は…
★この講演会は私を入れた4人の講師で行われたのだが、 その中で、どのように話しているのか、そのままの形でご紹介してみよう。 その皮きりの私はこのように話をスタートさせている。 ZEPHYR とKAZE とARK が我々の2年間の成果だと言っているが、ZEPHYRは…
★ 年末である。いつもはあまり掃除などしたこともない『我が家のガレージ』を洗ってみた。 我が家で自慢できるものがあるとしたら、このガレージかも知れない。 多分、日本で我が家にしかない、ガレージの下が池になっている。 池の下を『T字型の池にする』…
★ 今年も押し迫った歳末である。 ジムも昨日が最後だった。 ジムは三木山総合公園と三木山森林公園という二つの公園が隣接している こんな立地の中にある。 50年前、私が三木に来たころは、まさに『三木山』で、 山以外に何もなかったのに、 今はいろいろ…
★年の瀬である。 毎年のことだがこの時期『蔓バラの整枝』の時期である。 昨日は日差しが暖かかったので、やり始めたが 半日以上かかって前庭の蔓バラは何とか出来たが、 あと4本残っている。 お解り難いかも知れぬがこんな伸び放題の枝の葉を取って、 枝を…
★ 平成3年(1991)4月に川崎重工業・CP事業本部が制作した『7万台への挑戦・新しいカワサキのイメージ戦略』と題した冊子は、 私以下当時の国内販社の3人の担当者の社内での講演内容を記録したものである。 相当数創られて当時の川崎重工の社長以下役員…
★ 『そうか、そんな生き方もあったのか!』 このプロジェクトの寄稿も4回目になったが、 その目的は『仲俊二郎著のこの題名の本』を幾らかでも買って読んでもらおうということだった。 特にいつまでに何冊というような期限や目標がある訳でもないのだが、 F…
★ 世の中『クリスマス・シーズン』である。 この歳になると、クリスマスも単なる年末の1日で、 特にどうという特別の日でもない。 『クリスマス・プレゼント』など貰うこともないし、 あまり『欲しいもの』もなくなるから不思議である。 そんな昨今のクリス…
★ 前回の自分史は私の現役最後の勤めの札幌での 『北海道川重建機』時代のことを書いたのだが、 昭和36年(1961)から35年間関係のあった二輪事業だが、 60歳にもなったこの時期の5年間は、 世は平成に変わり、まさに『最後の仕上げの時代』であったと言…
★ 昨日、12月21日は結婚記念日だった。 結婚をしたのは昭和37年(1962)12月21日、私が30歳の時だから もう58年にもなる。 年末のこんな押し詰まった日に結婚式を挙げているのは、 会社が無茶苦茶忙しくて、1週間も休むことなど考えられ…
★ 昨日の日曜日、カワサキのバイクファンたちが、 KAWASAKI Z1 FAN CLUB の事務局長でもある 三木の登山道夫さんのところに集まった。 私自身は、カワサキの二輪事業には色濃く関係もしたのだが、 マシンそのものの、特に技術的なことなどは、 『全く解らな…
★ 昨年の12月、ちょうど今頃に、孫がFit bitをくれたので、 目標を立てて1年を過ごしてきたのだが、 1年経ったので改めてこんな新目標を立ててみた。 今までの目標はこちらなのだが、これは殆ど実行できたので、 目標値を高めてみたのである。 腕に付け…
★ 『そうか、そんな生き方もあったのか?』 は本の題名なのだが、その著者の『仲俊二郎』さんの 『仲俊二郎読書友の会』というグループをFacebook 内に立ち上げて10日あまりになる。 メンバーは、今73名も集まって、予想以上に活発な展開なのである。 そ…
★ 私は人生の半分以上を川崎航空機と川崎重工業で過ごしたのだが、 不思議なほど社長・副社長という会社のトップの方とのご縁が多かった。 ホントに特に親しくして頂いたのである。 でも、昔のお殿様とは違って、 昨今の社会の『エライさん』はみんな若い時…
★長く人生を生きてきたが、 今年ほど自然の移り変わりを、 直接この目で確かめながら過ごした年は、初めてだろうと思う。 これは、『コロナ』のお陰である。 春先からジムも閉鎖されたし、 毎日公園をスロージョッギングする日が続いた。 その頃は、梅が咲い…
★ 来年の3月にならないと88歳にはならないのだが、今年4月から始まった『今期内に米寿を迎える人』を対象にしているのだろう。 今年は市役所をはじめあちこちから『米寿のお祝い』を頂いたりした。 これは私の母校・明石高校から 『米寿を迎えて』という…
★ 私自身は特に読書家でもない。 どちらかというと『本は読まない』ほうである。 そんな私がいま仲俊二郎さんの書かれた 『そうか、そんな生き方もあったのか!』 という本の『仲俊二郎 読書友の会』の管理者をやることになっている。 仲さんとは『親友』と…
★ カワサキZ1開発の功績で 大槻幸雄さんが日本自動車殿堂入りをされたのは 昨年の11月末のことだった。 Z1が発売されてから、もう50年近くにもなるのにZを愛する人たちで構成される二輪倶楽部は全国にいっぱいあって、その一つでもある KAWASAKI Z1 FAN …
★この世の中に私と家内の血を引き継いでくれてる人が6人いる。 息子と娘、それに4人の孫たちである。『血の繋がり』などと言うが、みんなそれぞれ何となく似てるものを持っているからオモシロい。 『隔世遺伝』などと言う言葉があるが、 4人の孫たちを見…
★1988年から担当していた国内販社関係も1996年10月で後輩に引き継ぐことになって、それ以降は自動車工業会関係など業界団体の仕事ぐらいになって、サラリーマン生活も最後の段階となっていた。 そんな97年3月19日に家に突然川重副社長の髙橋…
★ 1週間の内3日ばかりは、 三木山総合公園内にある三木総合体育館のジムでトレーニングしているが、 そのあと隣の三木山森林公園か、体育館の周りを スロージョッギングしている。 こんな自然いっぱいのいい環境なのである。 つい先日は隣接する『さつき台…
★『そうか、そんな生き方もあったのか?』第2弾です。 我が家には小西先生が本を送って下さいましたので、 少しだけですが、読んでみました。 こんな10人の偉人たちの人生が描かれているのだが、 私もお名前だけはよく知っている偉人たちの人生は、 結構…
★ 昭和32年(1957)4月川崎航空機に入社して始まった現役時代は、 1999年5月末で北海道川重建機社長を退任することで幕を閉じた。 42年間の現役生活は、オモシロかったと言っていい。 それは一般のサラリーマンが経験するようなものではなくて…
★ 昨日は三木の旧い街を久しぶりに歩いてみた。 三木の旧市内は左上あたりで、 その右手に拡がる広大な新興住宅街は、 かっては高台というか山だったのである。 ジムは三木山総合公園にあるのだが、 この辺りもかっては山だった。 そのすぐ下に三木市役所は…
★『そうか、そんな生き方もあったのか!』 仲 俊二郎著 の本の題名である。 同じ題名で、多分このブログも何回か続くと思われるので 『そうか、そんな生き方もあったのか 1』とした。 久しぶりに私が取り組む『プロジェクト』になるのかも知れない。 本の帯…
★ この写真に写っている方、私にとってはいろんな思い出いっぱいの方たちである。 まずは最後尾の列の中央の大柄な方が、営業部で青野が原のレースを支援された『小野助治さん』である。新しく出来た単車営業を担当されて、私をその営業に引っ張られたのも小…
★ コロナで閑なものだから、旧い日記などを見たりして時間つぶしをしているのだが、 こんな写真が出てきた。 昭和38年(1963)5月、青野ヶ原モトクロスでの1位から6位まで カワサキが独占したレースの優勝記念撮影なのである。 このレースに関係し…
★ 『世の中どんどん変わるなと思う』 アメリカの子供たちのサッカーで『ヘディングが禁止』だなどとは全然知らなかった。 孫たちはそのアメリカで子どもの頃からサッカーをしながら育ったのだが、それはヘディングが禁止になる2016年以前だった。 記事に…
★昨日は水曜日、ジムに行くことにしてる日なのだが、朝いろいろやってたら9時半過ぎになってしまった。ジムに行くと『8名の満杯状態なのでお待ちいただけますか?』と仰る。コロナ対策で『8名以上は入れない』ことになってるので、ジムは諦めて、隣の三木…