雑感日記

92歳を迎えた年寄りですが、まだ夢いっぱい。カワサキ二輪の世界に40年。引退後はネットの世界と共に、毎日1万歩・アクテイブタイム1時間。頑張っています。思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

朝鮮・京城の想い出

 

★ 戦後80年も前になるのだが、

  終戦の年は私は中学1年生で今のソウル・朝鮮京城にいた。

  天皇陛下玉音放送を中学校の校庭で直立不動の姿勢で聞いた。

  当時のこと、ホントに懐かしくいろいろと覚えている。

 

  当時の京城は日本だったのだが、日本は本当に京城を立派な街にしたと思っている。

  当時の京城は当時の日本の内地よりはすべてにおいて進んでいたと思う。

  これは私が卒業した桜が丘国民学校である。

  内地の小学校は木造だったが、このように立派な鉄筋コンクリート造りだったし、

  暖房はsチームが通っていた。当然のようにプールもあった。

 

  

 

 

 これが今も残っているソウルの駅だが、

 ホントに立派だったし、当時神戸の市電が日本一だと言っていたが、

 それよりは京城の市電のほうが立派だったし、

 デパートの三越もあったが、神戸の三越よりは大きかった。

 

 

 

 

 いまもよく出てくる朝鮮総督府は当時からこんなに立派だった。

 

 

 

 

  朝鮮も日本になって当時の「韓国の人達」は日本人になったりして大変だったとは思うが、

  ソウルの街が今のようになったのは戦前日本人が創り上げたものだとも言える。

 

 先日、『祖父のこと』を書いたが、祖父・古谷虎雄は朝鮮に電力会社を創って、

 朝鮮の電力事業を起こしたのだが、そんなことで父も京城にいたのである。

 

 これは『ソウルオリンピック』の時にかっての我が家を訪ねて写真を撮ってきたものだが、

  塀周りは変わっていたが建物はそのまま残っていた。

 

 

 

 

★ 戦後、韓国になってから『戦前の日本の統治時代』についていろいろ言われるのだが、

 私自身が思うのは、日本は当時の朝鮮のためにいろいろ尽くしたのではないかと思っている。

 日本が朝鮮に進出した当時は非常に貧しい国だったのだが、日本の統治が近代化を促進したと言えるのではなかろうか。

 世界的に見ると、アフリカなどは植民地時代が終わっても貧困からなかなか抜け出せない状態なのだが、植民地から近代的な経済発展を遂げたのは韓国と台湾だと言われている。

 戦前、朝鮮で鉄道・道路・港湾・学校を建設したことについて、朝鮮で集めた税金は農地税程度であり、総督府の役人が本国に行って予算を確保したと言われている。

 

 日本の統治時代の朝鮮での『日本の評価』はどのように評価されて行くのだろうか?

 終戦になってすべての資産を残したまま、みんな帰国したのである。

 そんな民間の資産や預金は実際にはどのようになってしまったのだろう?

 

 

 

 

 

朝鮮・京城の想い出

 

★ 戦後80年も前になるのだが、

  終戦の年は私は中学1年生で今のソウル・朝鮮京城にいた。

  当時の琴ホントに懐かしくいろいろと覚えている。

 

  当時の京城は日本だったのだが、日本は本当に京城を立派な街にしたと思っている。

  当時の京城は当時の日本の内地よりはすべてにおいて進んでいたと思う。

  これは私が卒業した桜が丘国民学校である。

  当時の内地の小学校は木造だったが、このように立派な作りだったし、

  暖房はsチームが通っていた。当然のようにプールもあった。

 

  

 

 

 これが今も残っているソウルの駅だが、

 ホントに立派だったし、当時神戸の市電が日本一だと言っていたが、

 それよりは京城の市電のほうが立派だったし、

 デパートの三越もあったが、神戸の三越よりは大きかった。

 

 

 

 

 いまもよく出てくる朝鮮総督府

 

 

 

 

 

  • 当時の朝鮮は腐敗した李朝により混乱の極みにあった非常に貧しい国であり、日本が野望を持って進出するような富も文化もなかった、とする。
  • 日清戦争から日露戦争そして韓国併合に至る一連の出来事は全て日本の独立を守るための行為であった
  • 日本植民地統治下の朝鮮において、日本資本の主導下で資本主義化が展開し、朝鮮人も比較的積極的に適応していき、一定の成長が見られたとしている。
  • 日本の統治が近代化を促進した
  • アフリカなどは植民地時代が終わっても貧困からなかなか抜け出せない状態です。植民地から近代的な経済発展を遂げたのは韓国と台湾ですよ。
  • 日本は国内の税金を植民地のインフラ整備に投入した
  • 日本による韓国併合はロシアによる支配に比べて「不幸中の幸い」であったとし、また日本による諸政策で朝鮮半島の近代化が進展したと肯定的に評価する論文を発表した
  • 戦前、朝鮮で鉄道・道路・港湾・学校を建設したことについて、朝鮮総督府の予算を分析すると、朝鮮で集めた税金は農地税程度であり、総督府の役人が本国に行ってロビー活動をし、予算を確保した。
  • 日韓併合条約は『対等の立場で、また自由意思で締結された』とみるのが、当時の国際条約の歴史からして妥当だろう。
  • 戦後の韓国人は、日韓合邦によって国と主権が奪われ、受難の時代が始まったと思い込んでいる。

日本国内における研究・日本人研究者の評価

 

私の『新しい挑戦』

 

★ 今年から庭に『実の成る樹』を植えてみようと苗を買ってきて植えている。

  『来年には実が付くだろう』と園芸店の方は仰るのだが、

  それを期待して植えている。

 

  『実の成る樹』は庭に植えるなと言うこともあるが、

  それを気にせず植えている。

  既にミカンや山椒などはあったし、

  マスカットはあるにはあるがブドウが成ったことがない。

 

  今年になって新たに植えたのは桃の木を1本、柿と栗とを2本づつ5本も植えていたのだが、

  今日は新たに『キウイ』を植えた。

  こんな樹なのである。

 

 

 

       

         

       

 

  この一画に手前の枝は

  無花果はもう結構大きくなって今年はじめて一つ実を付けた。

  無花果は苗をあの『山本隆』さんに貰って植えたものである。

  奥手にあるのが『栗の木』で2本ある。

     

        



   そしてこちらが桃の木である。

  

 

 

 

   果たして来年の春には花が咲くのかどうか?

   それを楽しみにこれから半年育ててみたい。

   果たしてどんな結果になるだろうか?

 

   『新しいことへの挑戦』は幾つになっても楽しいものである。

キウイを植えた

 

★ 今年から庭に『実の成る樹』を植えてみようと苗を買ってきて植えている。

  『来年には実が付くだろう』と園芸店の方は仰るのだが、

  それを期待して植えている。

 

  『実の成る樹』は庭に植えるなと言うこともあるが、

  それを気にせず植えている。

  既にミカンや山椒などはあったし、マスカットはあるにはあるがブドウが成ったことがない。

 

  今年になって新たに植えたのは桃の木を1本、柿と栗とを2本づつ5本も植えていたのだが、

  今日は新たに『キウイ』を植えた。

  こんな樹なのである。

 

 

 

 

 

       

        

 

初めて気づいたこと

 

★ 永年生きてるし、同じ場所に何度も行くのだが、

 『初めて気づくこと」もあるものだ。

 今朝の三木総合防災公園で、今朝初めて気づいたことがある。

 

 この公園は実に広大で園内には立派な道路が完備されている。

 こんな広い道もあって、この道は園外だが、三木総合防災公園の私有地なのだと思う。

 朝7時開門前だから早朝はこんなに沢山車が止まっている。

 

 普通の4車線よりは更に広い。

 

  

 

 

  園内には散歩道もあるし、

  こんなに立派な舗装道路がある。

 

 

 

 

   この道は一応『30km』と言う走行速度にはなっているが、

   どの道も私有道路で公道ではない。

   それが園の外の大きな道も、これは『私有道路』なのである。

   だから、公のスピード表示なで出ていない。

 

   園内の道は兎も角、門の外の道も『私有地』なのだと初めて気付いた。

   だからこの道では『スピード違反』などないのだろう。

 

 

  もう一つ、『初めて気づいた』のは、30kmと言う園内のスピード表示の字のことである。

 

 

   

  これはこのように『30』と言う数字が綺麗に書かれている。

  この道もちょっとした勾配がある。

  今朝はこの道をクルマで走ったのではなく歩いたのだが、

  この『30』と言う文字は、地面にはこのように書かれているのである。

  普通の『30』ではなくて縦長である。

 

 

 

 

 

  それがさらに近づくと、実際にはこんな細長い『30』が道路に書かれているのである。

  

 

 

 

   車から見て、綺麗に『30』が見れるには、

   道路の勾配によってこんな縦長の『30』になっているのである。

 

   多分勾配が緩いほど、字は縦長に成るのだと思う。

   こんなことは『初めて気付いた』

   多分、こんな字をしみじみと眺めて写真に撮ったりする人は少ないだろう。

  

 

 

   

8月に咲く花

 

★ 結構花の多い我が家の庭も8月になると花の数が少なくなる。

  いま咲いてるのはこの4っ。

 

 

  これは花の名前が解らない。花と言うより植木なのだが・・・

 

 

  

 

 

 

  白い百合が今咲いている。

  植えた訳ではないのだが、何年か前から庭に自生して、

  今年は2本になった。

  来年は3本になるのだろうか?

 

  

 

  

  ノウゼンカズラの花期よりは1か月ほど遅い『姫ノウゼンカズラ

  ちょど今から可憐な白い花を付けた。

  枝があちこちに伸びてあちこちに花を咲かせている。

  

 

 

 

 さるすべり、何故か『百日紅』と書く。

 夏から百日も花を咲かせるからだろう。

 ちょっと花が小柄な我が家の『百日紅』だが、

 花を咲かせ始めた。

 

 

 

鄭剣剛さんのこと

 

★ 昨日は突然、鄭剣剛さんから電話があって『久しぶりにお昼を一緒にしませんか?』ということで約2年振りにお会いした。

 神戸の有名な実業家である鄭剣剛さんと初めてお会いしたのは、

 2015年2月の『神戸ベンチャー研究会』でその時を含めて今回が3回目なのである。

 これがその時の写真で、10年前はお互い若かったなと思う。

 

 

 2年ほど前にも剣豪さんから電話があってお会いしたことがあるのだが、

 鄭剣剛さん川崎重工のロボットとも関係があるようだ。

 これは川重の橋本社長とのツーショットだが、

 この時は流石に正装しておられる。

 

 

 

 

  

 いずれにしても『何となく繋がっているご縁』だが、

 お会いすると3回目とは思えないほど、ざっくばらんな会話が弾むのである。

 私との2ショットはお互いラフなスタイルである。

 

 昨日は食事のあと、喫茶店にも行って、剣剛さんがお書きになった

 『シン 華僑』と言う本も頂いた。

 

 

 

 

   そのあとさらに我が家に寄られて、

   私が20歳の時から書いている日記のお話などもさせて頂いた。

 

   

  

 

   私が日記を書き始めたきっかけは、

   『台湾の蒋介石が30年以上日記を書いていてエライ』と言う話が朝日新聞に出ていて、

   日記を書くぐらいなら私にも出来ると、翌日から書き出した日記である。

   もう70年以上続いているから『私も結構エライ』のかも知れない。

 

 

  そんなことで、私の小学生時代は朝鮮で韓国の方とも関係があったのだが、

  蒋介石も鄭剣剛さんも中国で

  剣剛さんのご出身は北京のようだが、大学は神戸大学も出ておられるようだし、

  今では日本での生活が一番長いようである。

 

  私は人生の中で、何となくふとしたことから、いろんな方と出会って懇意にして頂くことが多いのだが、剣剛さんもそんなお一人である。

  その範囲は結構広くて、人脈は多彩、誰とでも直ぐ仲良くなる。

  性格が『気安い』のでとっつきやすいのかも知れない。

  『直ぐ仲良くなって』お付き合いが始まるいろんな方との出会いは、私の人生の宝かも知れない。

  これもFacebookにアップすることになるのだが、

  Facebookのトモダチはお会いした方もいるし、ネット上だけのトモダチもいる。

  そんな『いろんな方』から『いいね』が頂けるのが今の私の生き甲斐の一つになっている。

 

  そんなブログのネタを提供して頂いた鄭剣剛さん、

  昨日はいろいろ、本当にありがとうございました。