雑感日記

92歳を迎えた年寄りですが、まだ夢いっぱい。カワサキ二輪の世界に40年。引退後はネットの世界と共に、毎日1万歩・アクテイブタイム1時間。頑張っています。思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

彼岸花

 

★ お彼岸の連休中である。

 お彼岸になると咲く彼岸花、別名まんじゅしゃげという。

 旧い歌だが戦後は「渡辺はま子」が歌った私の中学時代の歌だが、今でもその歌詞を覚えている。物忘れがひどいのだが、昔覚えたことは忘れないから不思議である。

 赤い花なら 曼珠沙華
 オランダ屋敷に 雨が降る
 濡れて泣いてる じゃがたらお春
 未練な出船の ああ鐘が鳴る
 ララ 鐘が鳴る

 

 毎朝歩きに行く三木総合防災公園は細い道のこんなところもある。

 

 

 

 

  その道を下ったところに、自生なのか植えられたのか、

 彼岸花・曼殊沙華が群生している。

  

 

  

 

  昨日はそんな曼殊沙華・彼岸花を観に行った。

 

 

  毎年、その名の通り「お彼岸の時期」に咲く。

 

 

 

  ちょっと変わった不思議な花だが、このあたりの農地には群生しているところがいっぱいある。

  そういう意味では、三木は田舎だなと思うし、

  彼岸花の咲く「いい町」でもある。

 

  暑さ寒さも彼岸までという。

  暑い夏が終わって、秋が来るのが待ち遠しいが、この辺りでは朝は20℃を切るようになった。

大青山

 

 

★ いま大相撲9月場所だが、応援してい幕内の狼雅と十両の大青山である。

 応援している理由は、ロシヤと中国からのたった一人の力士だというのが一番で、

 狼雅はすでに幕内上位にいるが、

 大青山は何となく大成しそうな雰囲気を持っているからである。

 

 

    

 

 

 

 その大青山の四股名の由来は、

 彼の故郷である中国モンゴル自治区のフフホト市にある大青山という山の名からで、

 地元を象徴する雄大な山のように「雄大に育ってほしい」という願いを込めて、名づけられたという。

 

  

 

 

 今日勝って8勝目を挙げたので来場所の幕内復帰はまず間違いない。

 前回は、6勝どまりでまた十両に落ちたのだが、今回は2度目の幕内である。

 

 大青山の出身校である飛龍高校の相撲部からは熱海富士や翠富士などもいるようだから、こんな先輩・後輩との取り組みも待ち遠しいのである。

 

 これで今場所の希望の一つは実現した。

 もう一つの希望は熱海富士の優勝・大関昇進だが、果たしてどうなるだろう。

 

 

  

AIはオモシロい

★最近、AI にはまっていて、1日のうち AI と何時間も会話を楽しんでいる。

 何を聞いても、素直に答えてくれる AI だが、

 私自身のことについても、2006年以来、毎日「雑感日記」で発信を続けているので、そのデーターをすべて持っているようである。

 

   

 

 

 例えば、「古谷錬太郎の生き方について特筆できること」と検索すると次のような文章が現れるのである。

 

 

彼の人生やスタンスから、特に際立っている要素は以下の通りです。
1. 「遊んでいても売れる仕組み」を追う、先進的なマーケティング思考
川崎重工業で45年間にわたり二輪車やジェットスキーのマーケティング、カワサキ特約店制度などの構築に尽力しました。彼のビジネス哲学の核には、「遊んでいても自然に売れる仕組みの構築」という合理精神がありました。1990年代初頭の時点で、新宿ショールームの開設や国内グループの構造改革など、時代を先取りした総合システムを構築し、経営学者からも高く評価されました。 
2. カワサキの歴史を紡ぐ「生き字引」としての情熱
1960年代のカワサキのレース活動の立ち上げに深く関わり、まさに「カワサキ・ライムグリーン」の歴史そのものを歩んできた人物です。単なる元会社員(OB)という枠にとどまらず、二輪文化や当時の熱気、先人たちの功績を後世に正しく伝えるための情報発信やイベントへの協力を惜しまない、強い熱意を持ち続けています。 
3. 「新しいこと」への飽くなき好奇心とネットの発信力
定年退職後も過去の思い出に浸るのではなく、常に最新のテクノロジーやトレンドに目を向けています。高齢になってからブログやSNSの世界にいち早くのめり込み、自身のブログ『雑感日記』を日々アップデートし続けるなど、デジタルツールを自在に使いこなす生き方は多くのシニア層の手本となっています。 
4. 地域と「縁」を繋ぐコミュニティのリーダー
引退後は兵庫県三木市を拠点に、人と人との繋がり(ご縁)を大切にした活動を展開しています。NPO法人『The Good Times』の立ち上げや理事長・相談役を歴任し、カワサキ時代の仲間だけでなく、地域住民や全く新しいネットワークを掛け合わせた「おもしろいチャレンジ」を仕掛け続けました。 
5. 90代を迎えても衰えない驚異のバイタリティ
90歳を超えても毎日1万歩を歩くことを習慣にするなど、健康維持とアクティブな活動を両立させています。「まさか自分がNPOの活動をするとは思わなかった」と語るように、年齢を言い訳にせず、常に「今が一番新しい自分」として挑戦を楽しむ生き方が、彼の一番の魅力であり特筆すべき点です。 
 
 自分でも不思議に思うほどその評価は高いので気分を良くしている。
 何を聞いてもすぐ答えてくれる。
 
 例えば
 
 ● 古谷錬太郎は有名人ですか
 ● 古谷錬太郎に最近の毎日は
 ● 古谷錬太郎の子供時代は
 ● 古谷錬太郎と三木市は
 ● 古谷錬太郎の友達は
 
 と聞くと即座にその答えが出てくるのである。
 これはみんなネットの世界に発信続けているからだと思う。
 「ネットの世界」とはほんとにオモシロいものである。
 
 

新神戸駅まで送ってきた

 

★ この休みに東京にいる孫・門野力也が彼女付で三木に遊びに来ていたのだが、

 今朝、9時の新幹線で東京に帰るというので、「新神戸駅」まで送ってきた。

 三木から新神戸駅までこんな道を通るのだが、

 

 

  距離は相当あるが、時間は40分しか掛からない。

  ほんとかと思われるかも知らぬが、この距離で信号が3つしかないのである。

      つく原湖の横の道も信号はないし、

 

  

 

  新神戸駅までは山の下をトンネルが走っていて、

  トンネルの中を10分も走れば、

 

 

 

 

 そこは「新神戸駅」である。

 

 

 

 

 この道を走れば、三宮にも40分ほどで行けるので、三木は結構「いい立地」なのである。

 

  8時ちょっと前に家を出たのだが、9時には家に戻っていた。

 そして、このブログをアップしたら、9時50分である。

 何日かは賑やかだったのだが、また家内と二人の静かな生活に戻った。

The Good Times 物語    2

 

★ 田崎雅元社長時代に川崎重工の基本コンセプトとなったThe Good Times Conceptであったが、2006年以降の次の社長時代にはまた新たなコンセプトが登場して2度目の消滅となってしまうのである。

私自身も2000年代に入ると現役生活も終了するのだが、2001年に初めてパソコンを購入し、「ネットの世界」を経験することになるのである。

インターネットの世界とは初めての出会いだったのだが、

2006年の9月には、ブログ「雑感日記」をスタートさせたりするのだが、

「NPO法人の作り方」という講習を受けたことにより、The Good Times コンセプトをNPO法人を創って残そうと思い立ったのである。

 

当時NPO法人を創るのはなかなかむつかしくて、1年以上かかることが普通だったのだが、1月に講習会に出席し、2月には兵庫県にNPO法人の申請し、6月に認可が下りて、そのホームページの作成を松島裕さんにお願いし、10月には NPO The Good Times が実現したのである。

 このNPO法人を創るにあたっては私なりにいろいろ考えて、「費用の掛からないネットの世界」を最大限利用するということで、このNPO法人の参加料は団体会員1万円、個人会員1000円の入会費とし、それ以外年会費などは徴収しないという仕組みを作りあげたのである。

このNPO法人にかかった費用で大きかったのはホームページの製作料だけで、

それ以外には、すべてネット利用だから、費用が一切かからないのである。

 多分、世の中にたった一つしかないNPO法人だと思うが、

 こんなホームページである。

 

 

 

 

  NPO法人 The Good Times : みんな繋いで楽しくいい「みんな時を過ごそう

 

 基本コンセプトは「みんな繋いで楽しくいい時を過ごそう」というものなのである。

 多分、こんなNPO法人は世の中でこれ一つだと思う。

 50ほどある団体会員は、カワサキ時代の関係者などで形成し、その団体会員が入会金1000円で会員を募集する仕組みで、すべてネットの世界の展開だから、金は全然かからないいい仕組みに仕上がっている。

 

 設立以来20年以上が経過したが、このホームページには毎日30人近くが今でも訪れて訪問人員は延べ15万人にもなるのである。

 

 一度皆さんもご覧になってみてください。

山道を歩いてきた

 

★ 三木総合公園は広いだけではなく、いろんな道あるのがいい。

 今朝は6時ちょっと前、こんな朝焼けの空を見ながらスタートした。

 

 

 

 

  久しぶりに200段の階段を上って

 

 

 

 

  こんな山道を通って

 

 

 

 

 展望台まで行って引き返してきた。

 

 

 

 

 

 山の尾根道だが、競技場や芝生広場がこんな風に見える。

 多分、この尾根道はこの公園ができる前からあったのではなかろうか。

 

 

 

 

 

  そんなことを思いながら、今朝はこんな日陰の山道を6000歩歩いてきた。

  ほんとにいろんな道があっていい。

 

  気温は20℃、もう秋の気配である。 

Kawasaki.The Good Times 物語    1

★ 現役時代、1961年に新しくできた単車営業課に異動し、1999年に退職するまでの約40年間をカワサキの二輪事業に従事したのだが、事業の文字通り創成期時代で有ったので、「新しく創る」ことが多かったのである。

 初めてできた広告宣伝課も担当したし、カワサキレースの初期も担当した。

 若かったけど、すべてが前任者がいない仕事なので新しく創っていくことばかりだったが、それは私の性分に合っていたのか、そんなことばかりやってたので「新しいこと」をやることに全く慣れてしまった感があり、自分の人生を振り返ってみると「新しいことばかり」やってきたような気がする。

 

そんな中でも Kawasaki. Let the Good Times roll というコンセプトの出会いが、その後の私の人生の根幹をなした生き方になったような気がするので、

このコンセプトについて、何回かに分けて自分の想いを語ってみたいと思うのある。

 

 このコンセプトは1973年にアメリカのKMCによって創られたもので、その歌もあったし大いにもてはやされたものである。

 

 

 

 

 

 当時のアメリカのKMCの社長は浜脇洋二さんで、私が初めて「The Good Timesコンセプト」に出会ったのは、浜脇さんの明石工場での講演なのである。

 当時まだ30代半ばだったが、非常に感動したことを覚えている。

 ただ、このコンセプトは当時のアメリカだけで使われたもので、何年か後にはアメリカでも消え失せてしまって、世の中には存在しない時代が続いたのである。

 

かって、単車事業本部長時代の大庭浩本部長が国内販社社長を兼務されたとき、「国内7万台販売」という大目標を掲げられたのだが、現実の台数の2倍以上というあまりにも大きな目標であったため、現実の目標となるのは難しくそのままになっていたのである。

 大庭浩本部長が本社に戻られて川重社長になられて、そのあとを高橋鐵郎さんが単車事業本部長で国内販社社長も兼務されることになるのだが、その時私に国内市場担当を命じられ、「7万台販売」も同時に課されたのである。

 

 私にとっては3度目の国内担当だが、今回は国内全市場を指揮する立場で、さらに7万台という途方もない大目標を与えられたので、これは二輪市場を巻き込んでの大きな展開を図らないと目標達成などおぼつかないと思ったのである。

 その決意の表れとして掲げたのが、

 Kawasaki. Let the Good Times roll というコンセプト で、

 アメリカで創られたコンセプトなので正規の日本語訳はないのだが、

 高橋鐵郎さんは「カワサキに出会う人たちがみんなハッピーになるようにカワサキは転がし続けます」と訳されたのだが、私自身も「カワサキに出会う人たち」ユーザーや社会の方たちが、みんなハッピーになるような事業展開をやろうと決意したのである。

 そして、高橋さんは国内だけでなく事業本部も海外販社も含めたコンセプトとされたのである。

 

  

 

 

  そして、このコンセプトは単車出身の田崎雅元さんが川重社長をされた時代に、

 川崎重工業の企業コンセプトにされたのだが、社長退任後は消えてしまったのである。

  これがこのコンセプトの2度目の消滅なのである。

  この続きは次回に・・・