★ 戦後80年も前になるのだが、
当時のこと、ホントに懐かしくいろいろと覚えている。
当時の京城は日本だったのだが、日本は本当に京城を立派な街にしたと思っている。
当時の京城は当時の日本の内地よりはすべてにおいて進んでいたと思う。
これは私が卒業した桜が丘国民学校である。
内地の小学校は木造だったが、このように立派な鉄筋コンクリート造りだったし、
暖房はsチームが通っていた。当然のようにプールもあった。

これが今も残っているソウルの駅だが、
ホントに立派だったし、当時神戸の市電が日本一だと言っていたが、
それよりは京城の市電のほうが立派だったし、

いまもよく出てくる朝鮮総督府は当時からこんなに立派だった。

朝鮮も日本になって当時の「韓国の人達」は日本人になったりして大変だったとは思うが、
ソウルの街が今のようになったのは戦前日本人が創り上げたものだとも言える。
先日、『祖父のこと』を書いたが、祖父・古谷虎雄は朝鮮に電力会社を創って、
朝鮮の電力事業を起こしたのだが、そんなことで父も京城にいたのである。
これは『ソウルオリンピック』の時にかっての我が家を訪ねて写真を撮ってきたものだが、
塀周りは変わっていたが建物はそのまま残っていた。

★ 戦後、韓国になってから『戦前の日本の統治時代』についていろいろ言われるのだが、
私自身が思うのは、日本は当時の朝鮮のためにいろいろ尽くしたのではないかと思っている。
日本が朝鮮に進出した当時は非常に貧しい国だったのだが、日本の統治が近代化を促進したと言えるのではなかろうか。
世界的に見ると、アフリカなどは植民地時代が終わっても貧困からなかなか抜け出せない状態なのだが、植民地から近代的な経済発展を遂げたのは韓国と台湾だと言われている。
戦前、朝鮮で鉄道・道路・港湾・学校を建設したことについて、朝鮮で集めた税金は農地税程度であり、総督府の役人が本国に行って予算を確保したと言われている。
日本の統治時代の朝鮮での『日本の評価』はどのように評価されて行くのだろうか?
終戦になってすべての資産を残したまま、みんな帰国したのである。
そんな民間の資産や預金は実際にはどのようになってしまったのだろう?
















