ジェットスキー&KAZE
★『カワサキジェットスキー物語』も、私が担当した時代は1997年あたりで一応の終止符を打つのである。 今回、ふとしたことから書き出した『カワサキジェットスキー物語』だが、その当事者の私も初めて知ったことが多かったのである。 ●その一つがこの写…
★1985年あたりにアメリカ市場で、突然ジェットスキーが2万台を超える規模になったことから、突然カワサキの中でもこの事業を正規の事業にしようという動きが出たのだが、そのジェットスキー・プロジェクトは、ホントにスピーデイーに動いて、1900年…
★カワサキジェットスキー物語も、昭和の時代を『ソウルオリンピック』の開会式の当日のハンガン(漢江)でのデモンストレーションで終わって、翌年からは平成の時代に突入したのである。 私自身も88年10月からは国内市場責任者として、二輪もジェットス…
★「カワサキジェットスキー物語 11」は今年最後として、世界のこんな方と新しく繋がったりしたのでそのご紹介をすることにする。 ジェットスキーが取り持つご縁と言っていい。 このようなジェットスキーのプロジェクトが、さらに大きく飛躍することを切に…
★ひょんなことでスタートした『カワサキジェットスキー物語』だが、10話になろうとしている。 このきっかけを創ってくれた、田崎雅元さんから頂いた長いメールの中で、このように言って頂いているのだが、非常に意を強くしているのである。 古谷さん、 ジ…
★ 今回『カワサキジェットスキー物語』をスタートして、当時の福井昇くんや松口久美子さんなどの協力で、やっと創成期のジェットスキー事業を時系列に纏めることができたと言っていいし、この当時のジェットスキーについて、 やっとこの程度に纏めることがで…
★『カワサキジェットスキー物語』も8回目になった。 前回は、1988年9月の ソウル・オリンピックの開会式でのデモンストレーションのお話などを紹介したのだが、このころのジェットスキーの展開は、考えられないほど、ホントに急テンポで進んだし、元々…
★創成期のカワサキ・ジェットスキー市場の世界展開を図った人たち、そのキーパーソンとなって世界をリードしたのは、鶴谷将俊さんである。 彼はオーストラリアの販社の社長から85年8月に帰任したのだが、その彼に『ジェットスキーを担当して欲しい』と私…
★ひょんなことで始めた『カワサキジェットスキー物語』だが、何となく続きそうな雰囲気になってきた。 今まで何度も繰り返し書いてきたように、ジェットスキーはカワサキにとって最初から正規の製品としてスタートしたわけではなくて、アメリカ市場向けの独…
★ジェットスキーとはカワサキの商品名で、1971年に開発されて72年からアメリカ市場だけで年5000台ほどの販売が続いていたのだが、KMCという単車事業部の子会社の開発商品で且つリンカー工場生産なので、川崎重工業から言えば『継子商品』だったの…
★それまで年間5~6000台の販売で推移していたジェットスキーが一挙に20000台を超す実績を上げることになった1983年頃のカワサキの二輪事業は、その長い歴史の中でも最大の危機と言っていい大変な時代だったのである。 それまでカワサキの二輪…
★昭和28年(1953)11月8日から突然私の日記はスタートして、今も尚、『60年以上も続いている』いる。 その動機については何度かこのブログにも書いたが、朝日新聞に『台湾の蒋介石は30年も日記を書いているのがエライ』というような記事があっ…
★カワサキのジェットスキーのスタートは、1971年。発動機事業部内で、マリンレジャーの分野に進出すべしとの経営方針のもと、マリンプロジェクトチームが結成されたのである。 カワサキモータースジャパンのホームページにも、 『1971年 "エキサイティン…
★何となくスタートした『カワサキジェットスキー物語』なのだが、ひょっとしたら結構長く続くかも知れない。 カワサキの二輪関連については、いろいろな記事も多いのだが、ジェットスキーについては、そんなに多くの記事が載っていない。Googleで『カワサキ…
★アメリカから戻ってきて以来、毎日田崎雅元さん(元川崎重工業社長)と長文のメールのやり取りが続いている。 私は昭和32年(1957)、田崎さんは昭和33年(1958)当時の川崎航空機の入社で、カワサキの単車事業スタートの頃からの仲間なのであ…
★ KAZEのジェットスキー機関誌がおくられてきた。 商品を見ても、記事を読んでも、やはり今昔の感がある。 確かに商品もよくなったのだろうし、いろんな面で進んでいるのだと思うが、 当初あった商品のスポーツ性だとか、 一般の人たちの遊び道具という感じ…
★ KAZEの機関誌が送られてきた。 二輪車の方がVOL .220 JET SKIは、VOL. 206 である。 カワサキの現役を離れて、もう10数年にもなるが、時代もどんどん変わって、当時にあったものもどんどんなくなってしまった。 今残っているものは、と言えば何があるの…
★KAZEの機関誌が送られてきた。最近は二輪車やジェットスキーのこともとかく疎くなってしまうのも仕方がないのだが、何とか情報を繋いでくれているのが、KAZEの機関誌や二輪車新聞である。ただ、最近は、これに加えて『ツイッター情報』が、タイムリーである…
お手数ですが、ちょっとクリックして頂けますか 『s850m さんと高岡鉄道』 ホンダが最初に出したスポーツカーはs600だった。 後s800になったが、更にそれを850ccにボアアップして、自分のハンドルネームとして使っている。 自分の店にこんな特別の車庫…
KAZEの機関紙194号が送られてきた。 今回のツーリング記事は『裏磐梯を抜けて喜多方へ』である。 いろんないいツーリングコースが日本にはいっぱいある。 その中でも東北北海道は、夏走るにはその気候の快適さもあって他の追随を許さないと思う。 バイク…
お手数ですが、ちょっとクリックいて頂けますか。 昨日だったか、7万台の挑戦の中でジェットスキーのことにもちょっと触れた。 その中で書こうかと思いながら書かなかったことがある。 89年にジェットスキーのデーラーミーテングをアメリカのオマハで開催…
ひょコムの中に「カワサキワールド」というコミユニテイを立ち上げた。 12月10日のことだから丁度1週間前のことである。 どうなることかと、びくびくものだったが参加人数も20人近くになって、500以上もある「ひょこむ」のコミユニテイの中で「参…
ひょこむというSNSに「カワサキワールド」というコミユニテイを新しく立ち上げた。 ネットの世界は、想像以上の力がある。 そんなに、大それたことは思ってもいないのだが、 長くお世話に人たちに、幾らかでもご恩返しが出来ないかと「カワサキワールド」を…
s850mさんとカワサキワールド。 こんなブログを「ひょこむ」に書いた。 つい先日、s850m君(ジェットスキーの福井昇君)が「ひょこむ」にジョインしてくれた。 以前から、できればと思っていたが、彼がジョインしてくれたので、思い切って 「カワサキワールド…
数あるマリンスポーツの中でもジェットスキーのレースはかっこいい。 自分で乗れれば最高であろうが、見ていても結構面白い。 いろんなよさがあるが、 競争だから1番2番を争うだけに、見ていてよく解る。 走る姿がいい上に、波しぶきが綺麗で迫力をさらに…
KAZEとショールーム-1 単車昔話も70回になった。 昔話もいろいろあるが、ケイスポーツシステムのメンバーたちと展開したユーザーサービスの事業化は、いろいろあって想い出も多い。 レースなどの動きのあるイベントにも力を入れたが、全国に展開した…
KAZEとKSS メーカーは技術力を駆使して作り上げたモノを売ることを本業にしている。 モーターサイクルもジェットスキーもそのようにして造り挙げられた商品である。 ただ、テレビや冷蔵庫などとは違って、 その商品を使ってどのように楽しむのか、物を売って…
松口久美子さんからコメントが来た。 先日、ULTRA250Xについてアップしたら、 「24日に12年ぶりにJS550とULTRA250Xを試乗しました。過去と現在の乗り物を同じ日に乗り少し混乱しましたが、どちらも完成された素晴らしい乗り物だと思います。」 とコメン…
水の上を走るジェットスキー。 ジェットスキーはカワサキの商品名である。 パーソナルウオータークラフトと一般に呼ばれるこの分野で、カワサキは文字通り先駆者である。 ただ、昨今は競合メーカーも頑張っていて、カワサキの独走などとは言えぬ状況が続いて…
KAZE Jet Skiの広報誌が3冊送られてきた。 先日のKMJのOB会で河野社長にお願いしたのである。 二輪車のほうは今でも会費を納入している正会員なのだが、 ジェットスキーの方は登録していないので広報誌も送られて来なかったが、送って頂くよ…