ジェットスキー&KAZE
KAZE VOL.182号が届いた。 今月はじめの181号がなかなかの力作で、褒めてご紹介したのだが、今回もなかなかのものである。 半ば以上身内なので、あまり褒めるのもーーーと思うが、何となく落ち着きもあり中味もいろいろと面白くていい。 ただ、ご紹介して…
カワサキの空冷4気筒J系のオーナー元オーナー、マニアの方を対象にしたオーナーズクラブがある。 「J'sーLIME」と名付けられたこのクラブの幹事役のTAKさんは以前、 私のブログに訪ねて頂いて会員の方々に紹介もして頂いたのはよく覚えていた。 極く最近に…
KAZE機関紙 VOL.181号が我が家に届いた。私は今も、KAZEの現役会員である。 VOL,1のときは,作る側の現役だった。 同時進行の沢山の面白いプロジェクトを持っていて無茶苦茶忙しかったが、毎月のKAZEの機関紙の編集会議だけには必ず出席していたことを覚えて…
ジェットスキーはカワサキが商標登録した商品名である。 この商品は現在はモーターサイクルと一緒の所管になっているが、 単車と発動機とが別事業部であった時代は、発動機の商品として開発され販売をアメリカのKMCが担当をするという時代が永く続いた。 …
KSS物語ー4(1991年以降) 新会社KSSも3年目で軌道にのり更にいろいろなソフト事業への挑戦が続いたのである。 平成3年3月3日オープンを目指した札幌のショールームが予定通りオープンし東京の神田ショールームもスタートした。 7万台を目指…
KSS物語ー3(1990年度) KSSの2年目もは、ソフト戦略展開のベースになる部分が次々に実行に移されていった年度であった。 まず1月には新販売網ARK契約がスタートした。ジェットスキー(J/S)のARKも統一展開を図ることになった。 従来…
KSS物語ー2(1989年度) 新しい会社の設立で中心となったコンセプト、「ソフトの事業化」について一番求められたのは企画力の強化である。 「ソフト機能の強化」とは、 「異質性を組み合わせる力の強化であり、コンセプトの組み上げ方のノウハウを提…
KSS物語ー1 1988年10月55才の秋、3度目の国内担当となった。 単車事業部の業績も安定し昔のような販社再建という役割ではなく国内市場に真に期待が掛けられている状況であった。 年からいっても最後のご奉公と思ったし、事業本部長でカワ販の社長も兼務…
1988年10月、ソウルのオリンピック委員会の招聘を受けて、オリンピックの開会式の当日スタジアムの直ぐ横を流れる漢江(ハンガン)でジェットスキーのデモンストレーションを行うことになった。 オリンピックとあってデモを行う選手も、アメリカ、ヨーロッパ…
今なお現役のKAZEメンバーである。 先日、家に本年度の更新葉書が届いた。勿論更新した。 1988年10月、3度目の国内担当となった。 当時まだ47000台であった実績をカワサキの「イメージ戦略」をベースに「目標70000台」の達成をめざす、とい…
「ジェットスキー世界戦略」 アメリカ以外の日本、ヨーロッパなど世界にジェットスキーを広めようと世界展開を企図した。 1960年8月オーストラリアから帰任した鶴谷将俊君が藤元、福井君らと共に専任でこのプロジェクトの展開にあたってくれた。 当時日…
「ジェットスキー開発ー2」 先日、1984年に突如としてJS440/550が計画の3倍も売れたというお話をした。 ジェットスキーはもともと発動機事業部が開発したエンジンを使っていて、単車のエンジンとは関係が無かったのだが、突如25000台も売れて一挙…
「ジェットスキーの開発」 1983年ごろHY戦争ほかいろんな外部要因も重なって、カワサキの単車事業は存亡の危機に見舞われるのだが、幸運にも恵まれ何とか切り抜けることができた。。 ジェットスキー市場の予想を上回る急激な拡大もその一つである。 アメ…
第3回Z1会総会があり、私は出席出来なかったが、議事録が送られて来た。 「カワサキの名車Z1を限りなく愛していることを宣言できる人」 なら誰でも会員になれるゴルフコンペ会である。 会長はZ1の開発チームリーダーであった大槻さん、副会長はエンジン設計…
ジェットスキーはアメリカで産まれて、日本で商品化された。 1975年からアメリカのリンカーン工場で生産が始まり、同時に販売が開始された。 その後10年程は、アメリカで6~7000台の販売が安定して続いたが、440,550ccが出た84年ごろ…
http://www.kawasaki-motors.com/kaze/ モーターサイクルやマリンスポーツに関心のある方は、「KAZE」には多分出会ったことがあると思う。 Kawasaki Amusing Zone for Everybodyの頭文字をとって、風を切って走るスポーツビークルとかけて、「KAZE」と呼んだ…
ハンカチ王子と騒がれた、早稲田実業の斉藤君はいい青年だし、ピッチャーとしても、逸材であることに間違いない。 ただ、野球というチームで戦うスポーツにおいて、全国制覇をしたナインのことよりも、斉藤君一人に話題が集中するのは、それもプレーそのもの…